現在の自分の問題

現在の自分の問題は、ざっくり述べると、「日本国内において何故公共のバリアフリーが遅れたのか。つい最近まで公共のバリアフリーは日本国内においては未整備or皆無だった。だから身体障害者・車椅子・その他難病の人(事故や病気などの後天的理由から身体障害者・車椅子・難病になった人を含む)はほぼ外出できず精神的に病んだり、苦しんだり、酷いと自殺する人がかなりいたんだろうな。特にアクティブだったのに後天的理由で身体障害・車椅子・難病になり家に引きこもらざるを得なかった人は尚更。昔は差別が酷かったことや日本人の同調圧力・人権軽視なども含めると政府や行政や一般市民はわざと差別や嫌がらせをしていたんじゃないのか⁉︎過去の事だからどうでもいいとはいえ、不条理をどうしても飲み込めない!!辛い!!死にたい!!」といった内容である。


尚、公共バリアフリーとは、交通バリアフリーや障害者トイレを指す。


自分は元々交通系が好きであり、そこから派生した問題である。


かなり不快に感じられたら大変申し訳ありません。


一応、かなり前からお世話になっている認知療法の先生・発達障害支援センターの方(障害者トイレについては言っていない)・専門家ではないが頭が良く読書好きの兄弟に聞いた意見をとりまとめると、公共のバリアフリーが遅れた理由は画像の内容になったのだが、どうなんだろ、、、、、、。


儀式の限界

かなり前から色々な精神・思考問題を抱え、今も改善されない問題がありあまりにも辛すぎるので、以前から時間がある時、夜にとある儀式を行っている。


それは、夜暗くなってから、人気のない港・崖下・山近く・川沿いなどに行き、YouTubeで暗い曲や切ない曲をイヤホンつけずに流しながら黄昏れるという儀式である。


これをやりながら街灯が全くない山道も自転車の灯を頼りに歩いた事があるが、猪にもう少しで見つかりそうだったため、それ以来していない。また、すみっこぐらしの冬のこもりうたは切なさがあまりにも強烈過ぎて逆効果だった。


しかし、冬の夜の儀式は、防寒対策をしていても寒すぎる。仕事や認知療法・カウンセリング・身体などに大きな支障が出てはいけない。


でも儀式は儀式。自分の問題改善の神頼み的な儀式。


これから冬の間、どうしよう。


これ書いた時点で、ご利益や効果は消滅してしまったかもしれないが、、、。

身体の力が抜けて、、、

夜の寒空の下、今日も長時間儀式をしてきた。


しかし、原田知世「冬のこもりうた」何回もリピート→柴田淳のバラード曲はかなり心が痛い。


身体の力がガチで抜けてしまい、儀式を中断して帰宅せざるを得なかった。


力が抜けると、精神や思考も更に死に近づく。


マジで早死したい!!